その二十八 色々


本当はOFF会のページとかぶらぶら旅のページに載せようと思ったのですが
色々ありましたのでこっちで上げます。

Jeep系のJ44さんからお誘いを頂いておりました「天使の囁きを聴く集い」。
予定が無ければ参加したかったのですが面接が入ってしまいましてイベントには参加はできませんでした。
しかしイベントが終わってから合流、事務局長様宅にて宴会〜宿泊させて頂きました(ありがとうございました)。

雪の影響で太陽が柱のように見えたのですが画像ではただの太陽にしか映ってないですね(汗)。

幌加内の温泉に浸かって本日宿泊させて頂く委員長様宅に到着したときには日もどっぷり暮れてました。
雪を巻き上げて真っ白にコーディングされた車。
暖かい家に入れば晩ご飯が待ってました。
秋田名物の「きりたんぽ鍋」。
作って頂いた方が元々秋田方面から開拓に来られたからだそうで濃厚で美味しい鍋を頂きました。

翌朝。
一晩でこれだけ積りました。
旭川では考えられない量です。
雪かきも小型の除雪車が登場するなど少ししか離れていないのに差が凄いです。
まぁ前夜は道央でかなり降っていたらしくこれどころの騒ぎではなかったらしく
実際イベントの参加者の中で酷かった人は午後3時頃に出発して札幌の自宅に到着したのが
翌午前6時だったとか・・・
おまけに雪は胸位まで積っていたらしいです。
幌加内も吹雪いておりましたが「回復するだろう!」ということでJ44さんと一緒に流氷見物に出発。
幌加内はどちらかというと日本海側なので大移動(J44さんはオホーツク経由厚岸行きとこれまた凄い)。
昼過ぎまで吹雪いていたので慎重に国道を走ります(何処までが道路か分からない状態)。

興部に到着した時には流氷は見あたらず、彼とはここで別れました。
私はちょっと北上して雄武まで行き、ここでも流氷は見られなかったので旭川に戻りました。

さて何で「北海道でどう」のページに書いたかといいますと
宴会からのお話しが非常に印象に残ったからです(死体と遺体の話じゃないです(笑))。
苦労しながら生きている人々の話を聞くと改めて自分は何をしに北海道へ来たのか考えざるを得ませんでした。
私はまだ部外者(の考え)であって自ら道民の中に入っていなかった。
それから自分には何ができるのだろうか?それすら分かってな。
「何ができるか」はすぐに分かるものではないかもしれないですが「中に入っていない」は
自分の動き次第で何とかできるもの。
そして一番大切な「人との繋がりを大切にする」こと。
これは皆が言っていました。
当たり前のことなのですが(「これも最近の人は避けているよなぁ〜」って言われてましたが)
開拓で来て苦労を分かち合った人々だから言える言葉なのではと感じました。
J44さんによって繋げて頂いた繋がりを大切にしたいと思います。
勿論今までの輪も大切な財産です。

ついに31才になってしまいました。
何が変わったという訳ではないのですが時間は流れていくものだと痛感しました。
北海道に来て4ヶ月半が過ぎていっているのです。
遅いようで早いです。
お金が減るのも早いです(汗)。

色々考え事してしまって頭の中がまとまらないです。

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